がん遺伝子治療は実際の臨床ではどうなのか? 個々の症例についてはいろいろな報告はありますが、欧米も含めて現在私がクリニックでおこなっているようながん抑制遺伝子ベクターを使った点滴で、体内、細胞内に投与するという論文での報告は以外にもほとんどありませんでした。
動物実験ではたくさん報告がありますが、人での報告では静脈内点滴でなく、腫瘍に直接注入しているもの、また動脈内注入の報告はあります。
また、このがん遺伝子治療では、それ自体単独での報告がなく、検索した限りでは抗がん剤や放射線治療との併用での報告のみでした。
がん遺伝子治療はその作用からも単独ではなく、がん抑制遺伝子を修復することで、本来の細胞の機能を戻すことなので、抗がん剤や放射線治療、免疫療法との併用で、そこからアポトーシス(自身の細胞死)機能をあげたり、自身の免疫をあげたりすることで、抗腫瘍効果がでてくるものと思われます。
成績をだしている研究論文を2つ紹介します。
進行上咽頭がんの長期予後に対する遺伝子組換えアデノウイルス-p53と放射線治療の併用効果
2009年、中国からの報告です。研究の目的としては、アデノウイルスベクターを用いたがん抑制遺伝子p53の投与の安全性、有効性について6年間の追跡調査をして評価してものです。上咽頭がんの患者に対して、42人のp53の投与と放射線治療を併用した群と、40人の放射線治療の単独治療を受けた対照群とランダム化比較臨床試験が行われたものです。
p53と放射線治療を併用した群では、p53を週1回8週間腫瘍内に注射しています。同時に上咽頭腫瘍と頸部リンパ節に放射線治療をしています。(35回で合計70Gyの照射が行われています)
結果ですが、p53と放射線治療を併用した群の完全奏効率は、放射線治療単独群の2・73倍であったということです。(66.7%対24.4%)。6年間の追跡データから、p53は放射線治療を受けた患者の5年局所腫瘍制御率を25・3%有意に増加させ、5年全生存率は7・5%(P =0・34)、5年無病生存率も11・7%(P =0・21)増加していたということです。
p53投与後の一過性の発熱を除き、用量制限毒性や有害事象は現れなかったと報告しています。p53の投与は、がん治療において非常に有用と結論づけています。
レンチウイルスベクターを介したヒト膀胱がん細胞株への遺伝子導入
臨床でなく実験ですが、2018年日本からの報告です。泌尿器科領域ですが、非筋肉浸潤性膀胱がんという病気の治療に対しては、BCG療法などがありますが、治療によって患者さんの生活の質(QOL)が著しく低下させてしまうことがいわれているようです。そのため、QOLを悪化させることなく新たな治療選択肢を開発することが非常に重要で、報告ではヒト膀胱がん細胞における腫瘍抑制遺伝子のレンチウイルスベクターを用いて、抗腫瘍効果を評価しています。
以前よく使用されていたアデノウイルスベクターには、一過性の遺伝子発現、高い免疫反応、ウイルス粒子の細胞毒性などの欠点があるようです。膀胱がん細胞におけるアデノウイルスレセプターの発現レベルが低いことも報告されているようです。したがって、膀胱がんの治療にアデノウイルスベクターを使用することは、頻繁な投与が必要で、ウイルス粒子の細胞毒性に起因する副作用を引き起こすこともあるといわれています。今回のレンチウイルスを介した遺伝子導入は、細胞毒性を伴わずに長期間の遺伝子発現を示すということでした。
この研究では、3つのがん抑制遺伝子p53、p16、PTENを使用しています。 p53遺伝子は古典的で典型的ながん抑制遺伝子であり、そのタンパク質は「ゲノムの守護神」として知られています。p53遺伝子の変異やp53タンパク質の機能的不活性化は、がん細胞におけるアポトーシス抵抗性をもたらすといわれています。
p16はサイクリン依存性キナーゼ(CDK)阻害剤であり、細胞周期の制御に重要な役割を果たし、腫瘍抑制因子としても機能しています。p53と同様にp16遺伝子の変異も多くのがんでみられています。
PTEN遺伝子はがん抑制遺伝子としても知られています。PTEN遺伝子の変異はさまざまな腫瘍で報告されています。実験としては、腫瘍抑制遺伝子であるp53、p16、およびPTENを含むレンチウイルスベクターをヒト膀胱がん細胞株と正常なヒト尿路上皮細胞株にトランスフェクトされています。トランスフェクション(transfection)とは核酸を動物細胞内へ取り込ませる手法で、特定の遺伝子を細胞に取り込ませることです。
p16およびPTENのレンチウイルスベクターの導入で、膀胱がん細胞において有意な増殖阻害が観察されたということです。しかしながら、p53ベクターの効果は限定的であったようです。また、正常細胞においてレンチウイルスベクターは有意な増殖抑制効果を示さなかったようです。
結論としてはレンチウイルスベクターを介した遺伝子トランスフェクションは、膀胱がんにおける遺伝子治療の応用に有用であると報告しています。
クリニックにおいての症例報告
当院での症例報告です。60歳代の男性で、黄疸で発症した遠位胆管がんでした。切除可能であったため全胃温存膵頭十二指腸手術を受けました(表1)。術後経過は比較的順調でした。しかし、リンパ節転移もあり、最終的なステージはIIBでした。術後の抗がん剤による補助化学療法は、患者さんの希望でおこなわず、経過をみていました。
1年経過したころに、腫瘍マーカー(CEA)の上昇がみられました。2022年3月でCEA値が4・5ng/mlでしたが、前月のCT画像では、肝右葉に肝転移がみられました(図1)。4月のCEA腫瘍マーカーが8・0ng/mlとさらに上昇してきたために、先行してがん遺伝子点滴を開始しました。
4月下旬から点滴によるPTEN、P53、CDC6によるがん遺伝子治療を開始し、2週に1回の投与を継続していきました。しかし、腫瘍マーカーは上昇し、6月には13・1ng/mlまで上昇しました。その後、抗がん剤治療を開始しましたが、開始直後のCEAの値は13・1から5・7に著明に減少していました。
2022年8月のCTでは、肝転移も著明に縮小していました。5月末日が初回で、2週連続で3週目が休薬の3週間1クールの予定でしたが、2回目は白血球減少が著明のため、施行しませんでした。
抗がん剤治療を開始したばかりなのにCEAが著明に減少しているのは、抗がん剤単独の効果よりもそれ以前のがん遺伝子点滴の効果がでたものと考えられました。
その後は抗がん剤とがん遺伝子点滴の併用になっていますが、腫瘍マーカーは低下したままになっています。CT検査の画像でも消失はしていませんが、著明に縮小しています(図1)。現在も治療中ですが、QOLは極めて良好です。
胆管がんは、標準治療では切除後に再発したときに、抗がん剤や放射線治療をおこないますが、効果は乏しくなかなか抗がん剤の効果がでることが少ないと自身の大学での経験でも感じています。今回の症例は、抗がん剤とがん遺伝子点滴の併用で非常に効果があったと考えていて、早い時期からのがん遺伝子治療が良かったのではとも考えています。
おわりに
現在、おこなっているがん遺伝子点滴治療は、海外ではあまりおこなわれていないことがいろいろ調べてわかりました。患者さんにとっては、がん治療として効果がでることが最も重要です。自身の症例を蓄積させて、また仲間との症例を蓄積して報告していくことが、今後必要になってくると思っています。
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